復元治療を受けるにあたって


基本的に人間の身体は三つの面に分類できる。ひとまず地面に垂直に立った姿を想像しよう。
上半身、下半身と分断できる地面と平行である水平面。身体の前面、背面と分断できる地面と垂直である全額面。そして右半身、左半身と分断できる地面と垂直である矢状面だ。
これらの面が合わさって正しく直角に交差する形に立ち姿を保つことができれば、身体は充分に健康体と言えるであろう。
しかしながらそう身体をうまく保って日々を過ごしていける人間はおおよそ少ない。

人間はこの一分一秒ごとにも、身体に歪みが生じている。
歪みによって崩れていく身体は、やがて遅かれ早かれ朽ちていくのだ。そうした歪みは衝撃によって引き起こされるもの、何不自由なく過ごしているはずの日常の中でひっそりと、小さな埃が積もっていくように蓄積されているものと様々である。
以下のチェックシートを見て、感じるものはあるだろうか。

     

チェックが多ければ多いほどあなたの身体にはすでに歪みがあるだろう。
これらに当てはまらずとも歪みの原因、またすでに生じている身体の歪みは数多とある。
そもそも歪みとはなんなのか。それについて説明しよう。


■歪みとは

人間が地球上で生活していく中で働いているもの、また、それらによって存在できる力として、重力がある。
足裏を伝い、地面と垂直に立てる理由として存在するその力は、人間が「重み」として感じるものだ。それによって人間は地球から切り離され宙に浮くこともなく、しっかりと地面を足裏で踏み締めて歩くことも可能になっているのである。しかしながらその弊害として、人間は常に見えない力によって上から押さえつけられているのだ。
地球は23.5度傾いて自転している。その自転が弊害となり人間の身体の内部に圧力を掛け続けているのである。

なぜ人間がその重みに潰されてしまわないのか?
それは人間の中心――いわば軸となる、骨で支えられているためである。また、骨格をさらに支えているのは蓄えられた筋肉、筋膜に腱や靭帯といった組織である。これらをバランスよく保って生活していれば余分に体力を失うこともなく、また身体が怠けることもないだろう。
しかしながらひとたびバランスを崩した身体は、患部に掛かる負荷、または機能しないその部分の補助として、他の部分がそれらを担う役割を果たすこととなる。
例を上げれば、左脚を骨折し、動かせなくなった状況下で使い続けた右脚だ。本来ならば左脚で支えるはずであった重力を右脚で支え続けるあまりにそちら側へ重心が寄り、やがてには酷使された右脚が悪くなる、といった事態となる。
また、骨折した左脚もただでは済まない。衝撃を与えられた左脚に大量の負荷がかかったことは明白であろう。このように左脚を痛めたことにより右脚を痛めることとなる連鎖が、更なる歪みをもたらす。もし、おぼつかない足取りを支えるために腰や肩に重力を掛けて歩くような対策を無意識に行ったとするなれば、次に痛みを感じるのはその箇所だろう。

歪んだ身体によってなにが引き起こされるのか?
人間は水平、垂直に保った身体のバランス。つまりは崩れない軸と新抗重力線により均衡を保てている。歪んだ身体は当然のように姿勢を正しく保つバランスにひびを入れ、軸を傾けさせる。歪みによって身体が傾けば歩行や姿勢を保つのに苦痛を感じるようになるだろう。しかしながらそれほどでへこたれるほど人間の身体は安くできてはいない。崩れた身体でバランスを保とうとする人間の身体は、多少の無理をしてでも歩行可能な身体をつくろうと試みるのだ。
自身が持つ、使い古した運動靴の裏側を見てもらいたい。靴の側面の片方がすり減っていたり、同じところにばかり傷がついてはいないだろうか。もし靴の両脚の外側ばかり靴底がすり減っていた場合、身体の重心は外側に掛かり、小指側にばかり力を入れて歩いていることとなる。


■老化する身体

人間をつくる元素として大きなものが四つある。炭素、水素、酸素、窒素と呼ばれる四つは必要不可欠で、人体を構成する重要なものである。人間が衰えていく過程でこの四つの中ではじめに失うのは水素だ。老化していない肌は瑞々しく保っているが、老化するにつれて肌は水分を失いぼろぼろになっていく。

身体が衰えていくしくみとして、石灰化が挙げられる。これは人間の身体に残る炭素が関係している。また身体に走る痛みもこれらからやってくる。
石灰のもととなるのは老廃物、疲労物質、乳酸などだが、これらが身体に蓄積することが始まりだ。委縮し、固縮して拘縮したのちには硬化がはじまり、硬直の後には強直する。やがてには石化する現象。これこそが老化である。


ではその石化現象はなにによって引き起こされるのか?
上記した通りに人間の身体には重力が掛かっている。その重力+【外傷、衝撃、ストレス、常時保ち続けてきた姿勢による力の蓄積(立位、坐位、寝位)】がまずベースだ。そこに時間やプレッシャーを加えた圧力によりぎゅっ、と圧縮された塊がやがてには出現する。それらが石化するわけだ。石灰沈着もそれらに含まれる。
例えば、常に左脚に重心を傾けてやや身体を傾けながら立っていた人が存在するとして、なおかつ彼が膝にすべての重みを預けていたと仮定する。常に重力と蓄積を与えられた彼の膝には莫大なストレスが掛かっているが、それだけではない。何分何時間何日と費やしてきた時間の重みの分だけ、その膝に預けられる力は蓄積されていく。やがて圧縮された力は痛みを伴い、曲げ伸ばしが困難に感じる日もくるだろう。それによって膝が使えないこともあり、歩き方は見るに堪えない状態となる。本来ならば力を加えるはずでない別の身体の部分に膝をかばうための力が余分に与えられてしまうこともある。
腕や足など、間接はすべて八方向に動かすことができる。上下(前後)、左右、斜めと稼働する関節を回してみて引っ掛かりを覚えることはないだろうか。スムーズに動かすことのできない関節はほぼ硬化しているといっても過言ではないだろう。放っておけばそのまま老化に繋がるのも容易に想像できる。


■痛みはただの痛みではない
痛みとは身体が発しているシグナル、警告である。
痛みを感じるからこそ、人間は己の不調を知ることができる。痛みがなければ骨折しても、たとえ腹に病を抱えていても気付くことは難しい。その痛みから目を背けてはならない。痛みは一時的なものにしかすぎないのだ。
麻酔薬などで上から患部に塗り込めて一時の激痛を紛らわせることは勿論可能だが、それでも根本的な痛みの原因を取り除いていない限りに、無限に湧いて出る痛みから逃れることは不可能だ。いわば、水を溜めた風呂桶の、底から油が常に排出されているようなものだ。底から洩れでてくる油の栓を止めずに、ただ水の表層に浮かんできた油の塊を掬っているだけでは、いつまで掬い続けるのかわからない。次第に掬うことすら億劫になれば、風呂桶はやがて油にまみれてしまうだろう。
その場しのぎの痛み止めではあるが、決して無駄ではない。しかしながら痛みをおさえている間にも、自分の身体が疲労し、老化に近付いていることだけは自覚しておいた方が身のためだ。

また、痛みは連鎖する。
歪みによって本来ならば使うべきところではない場所に力を加えたが故に、その部分まで壊れていくと上記にて説明したが、そもそもの痛みの原因がその箇所だとは限らない。『頭痛が起こっていたが、頭に原因があるわけでもなしに、もとを辿れば肩こりによる誘発された頭痛だった』などといった経験はないだろうか。
復元治療を受けるにあたって思考の片隅に置いていただきたい事実は、現在の痛みがすべて身体に起こる不都合の起因ではない、ということだ。肩の痛みを取り除くべく、すぐに肩を治療して健康体になれるか、と問われたところで首肯しかねる。
・肩を痛めていることによって他の部分に掛かった負荷がある。
・そもそも、その肩の痛みが、肩自体を痛めて生じたものとは限らない。
自身が抱く痛みは、これまでの人生において蓄積されたものだ。一朝一夕で生まれたものではない。
痛みのある部分そのものが痛みの原因だとは思ってはいけない。


■復元治療とは
この治療は抗重力理論をベースとした、身体の根本から作り変え、正しい姿勢に復元するためのものである。
身体に掛かった重圧を除去することで、今まで感じていた倦怠感、脱力感、圧重感、痛みをすべて真っ白な状態とする。すなわち健康体へと戻すのだ。身体の歪み、痛みを発生させている根源を取り払い正さねば、いくら正しい姿勢を保とうと意識したところで無理やり矯正された身体には圧が掛かる。
患部をその場しのぎに正すのではない。今まで身体に蓄積してきた物質によって曲げられた身体の軸を戻し、それらを破壊するこの治療法である。
二万人の歪みを見据え、三年前には新抗重力線を発見した。
復元治療は小石川30年の集大成とも呼べるだろう。